第58回岩手読書感想文コンクール高校・優秀賞

『今』を繋(つな)ぐ架け橋として

岩手県立花巻北高校2年

藤沼(ふじぬま) 凛央(りお)

最後の花火

 書店でこの本に出会ったとき思い出したのは、数年前二〇歳を目前に他界した愛猫のことだった。できる限りの治療を施し、薬を飲ませ、静かに横たわりながら鼻から液状の栄養を注入されている晩年のその姿に、私は生きることの意味を考えさせられた。ホスピスとは所詮少しでも楽に生きながらえるための場所ではないのか。動物と人との違いはあれど、終末期医療というのは大差ないのではないか、そう思っていた。

 しかし「うみそら」は違っていた。動ける子供たちは積極的に考え、動き、自分たちのやりたいことや、やりたかったことに挑戦する。動くことが困難な子供に対してはその家族が代わりに、本人がやりたかったであろうことや楽しそうなことを提供する。そこに悲壮感はなく、笑顔と歓声の混じった暖かな空気で満ち溢れている。いわば「死」と隣り合わせのはずのこの場所にそぐわない不思議な多幸感への戸惑い。この本の筆者と同じ疑問を私も感じ、この施設への興味が湧いた。

 横浜こどもホスピス「うみそら」の運営を行うNPO法人「横浜こどもホスピスプロジェクト」代表の田川さんは当時七歳の娘さんを小児がんで亡くしたという。病児の家族としての経験から医療機関ではない避難場所…今までやることができなかった遊びや学びを行うことができ、子ども自身が人と関わり、それぞれの夢を持ちそれを育み成長できる場所を作りたい。治療法がないというおよそ納得ができない現実に向き合わざるを得ない家族の心情を理解し、心の準備をする時間と場所を作りたい。脳腫瘍が判明してからたった五か月で他界した愛娘が命と引き換えに託していったものを形にし継承することが親である自分の使命と考えた田川さんは、はじめは小児医療の充実を目指し、次に患者家族のための民間の滞在施設を作ろうとした。最後に「子供としての尊厳を失わずに生きられる場所」としてたどり着いたのがこの子供のためのホスピスだったのだ。

 「うみそら」は病院やほかの施設とは違い、医療ケアを自分たちで行う代わりに自由が得られる。面倒で難しい医療ケアを専門家が行うほかの施設では、責任という観点から多くのことを禁止せざるを得ないが、うみそらではやりたいことができる。まるで荒天と荒波に揉まれるように生きてきた病児家族にとって、この澄み切った青空と穏やかな海のような施設の中にはち切れんばかりに詰まっていたのは、こどもたちの「生きている輝き」そのものだったのだろう。難しい病や障害のある子どもたちが病児や障害児としてではなく普通の子供として過ごすことができ、その子たちの親やきょうだい児たちが病児の親や障害児の家族といった文脈で語られる特別な立場からも解放され、一人の人間として過ごせる場所。私たち一般人が当たり前に享受していることが彼らにはかけがえのない多幸感を伴う出来事であることにはっとさせられた。

 私は五歳になったばかりのある日の朝、唐突に「死ぬということ」に気が付いたそうだ。食べ物のにおいを嗅ぎつけて足元にまとわりついてきた飼い犬を見ているうちに「この子はいつまで自分と一緒にいられるのだろう」と考えたらしい。それを家族に聞いたことがきっかけで「この朝食を作ってくれた母はいつまで生きているのか、いつかはいなくなるのではないか」と気が付いた私は泣きながら食事を続けて周りを困らせたそうだ。今考えると苦笑してしまう出来事だが、間違いなくこの日をきっかけとして命や医療というものに高校生となった今までずっと興味を持ち続けることができたことを考えると、よっぽど強烈に私の中に「死」という概念が植え付けられたのだろう。

 人はその存在を忘れられた時が本当に死ぬ時だという。うみそらでは沢山の経験を家族と一緒にすることができる。花火を見たり家族だけでお風呂にゆっくり入ったり植物を育ててその種をまた植えたりすることで、苦しみや悲しみだけではない、家族だけの楽しい想い出を作り、そらとうみとに別れてしまった後でもその想い出で家族を繋いでいくのだ。

 人は「今」がその時々の一瞬しかないことに気づきにくい。ふと何かを目にした瞬間に、写真のように切り取られた光景が不意に目の前に広がってくる―そんな想い出のひとつひとつが命の輝きそのものであり、人の想いを繋げて二つの場所の架け橋となる。

 幼児の頃の私はただ死を恐れるのみであった。死への新しい立ち向かい方を知り、子どもから大人に足を踏み入れようとしている今、私は当時からの想いを胸に進学の選択肢を模索している。その最中にこの本に出会ったことに感謝しつつ、多方面から医療と命というものについて考えていきたいと思う。

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