沿革

岩手日報のあゆみ

川越勘兵衛川越勘兵衛
1876年の紙面1876(明治9)年7月21日の「巖手新聞誌」

 岩手県初の新聞が発行されたのは、1876(明治9)年7月21日。盛岡市呉服町の日進社から「巖手新聞誌」として誕生しました。これが現在の「岩手日報」のルーツです。その後、経営体は変わりましたが、1897(明治30)年に「巖手日報」の題号になり、名実ともに「県紙」としての地位を確立してきました。発行部数は18万3754部(2020年1~6月平均)。

 盛岡市内丸の本社、県内12支局と東京、大阪、仙台、一関支社をつなぐ取材網と、共同通信を通じて配信される国内外の幅広い情報をもとに朝刊を発行しています。政治経済、社会一般、教育、文化芸術、スポーツ、そして地域の課題や個人・各種団体の活動などを速く、深く、きめ細かく報道しています。

 新聞以外にも伝統の一関・盛岡間「日報駅伝」など各種スポーツ大会、音楽、展覧会などの文化事業を開催し、販売や広告分野でも県民のための事業を展開しています。

日報駅伝
さんさ踊り

沿革

1876年明治9年
盛岡市呉服町の活版業、川越勘兵衛の「日進社」から岩手県で初めての新聞として「巖手新聞誌」が発行された。
1897年明治30年
経営者の交代などを経て、この日「巖手日報」が生まれる。
1923年大正12年
初めて夕刊を発行。
1938年昭和13年
新岩手社を創立。
1944年昭和19年
用紙不足のため夕刊を休止。
(昭和27年6月29日に復刊)
1944年昭和19年
本県での新聞が新岩手日報のみとなる。
1948年昭和23年
第1回岩手日報文化賞・体育賞を贈呈。
1961年昭和36年
岩手日報社と同居の旧県物産館から出火、社屋を全焼。
全社員の努力で一日も休まず新聞発行が続けられた。
1962年昭和37年
現在地に新社屋が完成。
1969年昭和44年
社屋を地上5階建てに増築。
1976年昭和51年
創刊100周年記念祝賀会がホテルロイヤル盛岡で開かれる。
1981年昭和56年
3ヶ年計画で進めてきた写植化が完成。
コンピュータによる組版写植化は製作現場から鉛を追放。
1988年昭和63年
オフセットカラー輪転機を導入。
1990年平成2年
日本新聞協会賞・編集部門で企画部門「いわて農業 市場開放に挑む」が受賞。
1991年平成3年
新聞製作の主要部分をオンライン処理する電算編集システム、愛称「銀河」が稼働。コンピュータによる新聞製作が本格化。
1994年平成6年
盛岡市みたけに建設を進めていたタワー式キーレス輪転機8台を設置する制作センターが完成。平成7年新年号の印刷から稼働した。
1997年平成9年
ホームページを開設。
2006年平成18年
第1回啄木・賢治のふるさと「岩手日報随筆賞」を贈呈。
2006年平成18年
創刊130周年記念日。
2007年平成19年
日本新聞協会の第27回新聞広告賞・新聞社企画部門で「あなたが作るミステリー パ・ズ・ル」が受賞。
2010年平成22年
夕刊を統合した新朝刊を発行。
2011年平成23年
東日本大震災・大津波(M9.0、盛岡市=震度5強)で全県のライフラインが寸断の中、東奥日報社の協力で特別紙面の朝刊を2日間発行し読者・県民に届ける。
2011年平成23年
東日本大震災の最大余震時(M7.1、盛岡市=震度5強)にも秋田魁新報社の協力で特別紙面の朝刊を翌日に発行。
2011年平成23年
フランスの「カンヌライオンズ 国際クリエイティブティ・フェスティバル」で、本社と博報堂DYメディアパートナーズが共同運営する個人向け記念号外発行サービス「IWATTE(イワッテ)」がメディア部門金賞を受賞。
2011年平成23年
日本新聞協会賞・編集部門で写真・映像部門「平成三陸大津波 記者の証言」、企画部門「東日本大震災一連の報道~31世紀への証言~」が同時受賞。
2011年平成23年
日本新聞協会の第31回新聞広告賞・新聞社企画部門本賞で「いわてのテとテ」が受賞。
2012年平成24年
東日本大震災から1年に合わせ、本県への復興支援に感謝を込め、東京都内と名古屋市内で特別号外を配布。
2012年平成24年
日本新聞協会の第32回新聞広告賞新聞社企画部門で、本社と河北新報社、福島民報社、福島民友新聞社の「3・11東日本大震災3県4紙合同プロジェクト」が受賞。
2016年平成28年
矢巾町広宮沢に最新鋭輪転機2セットを備える新たな制作センターが完成。最大40ページ中24ページのカラー印刷が可能に。
2016年平成28年
創刊140周年並びに制作センター完成祝賀会を盛岡市内のホテルで開催。
2016年平成28年
本紙「命の軌跡~東日本大震災5年 一連の報道」が日本新聞協会の2016年度新聞協会賞編集部門・企画部門を受賞。
2017年平成29年
同年3月11日に本紙掲載の広告企画「最後だとわかっていたなら」が新聞広告の最高賞である第70回広告電通賞の「新聞広告電通賞」を受賞。同企画は10月20日、日本新聞協会の第37回新聞広告賞・新聞社企画部門新聞広告賞も受賞。
2018年平成30年
第23回「NIE全国大会盛岡大会」が被災3県で初めて開催された。
2019年令和元年
広告企画「3月11日を、全ての人が『大切な人を想う日』に」が第13回全日本広告連盟 鈴木三郎助地域キャンペーン大賞選考委員会特別賞を受賞。
2019年令和元年
アジア初となるラグビーワールドカップ日本大会の1次リーグが釜石鵜住居復興スタジアムで行われた。
2020年令和2年
広告地域連携企画『#Thank You From KAMAISHI 』が第14回全日本広告連盟 鈴木三郎助地域キャンペーン大賞を受賞。
2021年令和3年
「3月11日震災風化防止プロジェクト(3月11日東日本大震災風化防止『県民の日』制定プロジェクト)」が国内最高ランクの広告賞・第74回広告電通賞の「エリアアクティビティ最高賞」を受賞。
2021年令和3年
第63次南極地域観測隊の越冬隊(同行者)に地方紙で初めて記者を派遣。観測の最前線や昭和基地での隊員の暮らしなどを発信する「南極支局」を開設(2023年3月まで)。
2021年令和3年
第74回新聞大会が盛岡で開催された。本県での開催は1982年以来、39年ぶり2回目。
2021年令和3年
「3月11日『県民の日』制定プロジェクト」があらゆる広告クリエーティブを大賞とした国内最大級の賞とされるACC TOKYO CREATIVITY AWARDSで、ブランデッド・コミュニケーション部門Cカテゴリー(PR)のゴールド賞を受賞。
2022年令和4年
「3月11日『県民の日』制定プロジェクト」が第1回鈴木三郎助全広連地域広告大賞で同賞選考委員会特別賞(キャンペーン部門賞)を受賞。
2022年令和4年
同年3月11日に本紙掲載の広告企画「風化させてはいけない震災がある【あの日のテレビ欄+47体の身元不明遺体】」が日本新聞協会の第42回新聞広告賞で、新聞社企画・マーケティング部門新聞広告賞を受賞。
2023年令和5年
同年3月11日に本紙掲載の広告企画「震災拾得物」が第76回広告電通賞の「プリント広告最高賞」を受賞。
2024年令和6年
「育てよう災害救助犬プロジェクト『いわてワンプロ』」が第3回鈴木三郎助全広連地域広告大賞のキャンペーン部門賞を受賞。
2024年令和6年
同年3月11日に本紙掲載の広告企画「3月11日を『大切な人にごめんねを言う日に』」が第77回広告電通賞の「プリント広告最高賞」を受賞。