県民との「響感」忘れずに
代表取締役社長
川村 公司
岩手日報社は2026年、創刊150周年を迎えます。全国の地方紙で5番目に古い歴史を有する新聞社です。これまで幾多の困難がありましたが、県民読者の皆様に支えられて歩んできました。これからも岩手のニュースの情報発信拠点として、時代の動きを鋭敏にとらえ、進化を遂げながら邁進して参ります。
岩手県は四国四県の面積に匹敵する広大な県土を有しており、私たちはその隅々に息づく人々の人生に寄り添い、応援することを目指しています。
2011年3月11日、東日本大震災・大津波が日本を襲い、岩手県でも多くの方々が犠牲になられました。発災直後から各地の避難所に記者が赴き、取材に当たりました。その際、避難所に掲示されている手書きの避難者名簿を撮影し、盛岡市の本社で一字一字を入力し、約5万人の氏名を紙面に掲載しました。
すべての生活が一変し、時間が寸断された避難所では、被災された方々が避難者名簿の掲載された新聞をくしゃくしゃになるまで見入っていました。家族は、親類は、友人は大丈夫か。「個」の命にこだわる取材報道-。災害初期の取材を通じて、地方紙、県民紙の使命と責務をはっきりと確信しました。
時に、報道機関は、戦争や自然災害で失われた尊い命を「◯万人」とひとくくりで表します。しかしそこには、その数だけの人生があったということを決して忘れてはいけません。どんなにデジタル化やAI技術が進化しても、人間と向き合い、対話を積み重ねることでしかなし得ない仕事を地道に続けていくことが肝要です。
折しも震災後、米大リーグに進出した大谷翔平選手、菊池雄星投手をはじめ、岩手県出身の若者がスポーツ、文化などの分野でめざましい活躍を遂げ、世界に羽ばたく姿が続いております。なぜ岩手からと、その「解」を問うてみても、答えは分かりません。そもそも現在進行形で生きる私たちが「解」を突き止めようとしても、進行形がゆえに「解」は手中に収められそうで、到達できないことに歴史の妙があります。
いずれ後世がそれを総括する時がくるでしょうが、今を生きる私たちは解がうごめく時代とともに仕事ができる、その新聞社ならではの醍醐味を味わいながら日々を送っております。
時代が変わり、世代が変わり、価値観が変わっている今、同じく「解」がうごめく進行形の時代に生きる県民一人一人と向き合い、寄り添うことが私たちの原点です。同じ目線で相通じる、「響感」できる「何か」を謙虚に見いだしていきたいと思います。
岩手日報社はこれからも自らを鍛錬し、精進を重ね、皆さまの期待に応えるべく、県民の拠り所となる企業を目指し、努力して参ります。