▼ 昭和23~40年
受賞年 | 回 | 受賞者 | 職業 | 功績 |
---|---|---|---|---|
昭和23年 | 第1回 | 該当なし | ||
昭和24年 | 第2回 | 柴内魁三 | 県立盲聾学校名誉校長 | 多年の盲ろう唖教育に対する功労 |
昭和25年 | 第3回 | タマシン・アレン | 久慈社会館(経営) | アメリカ人伝道師として昭和6年来県。その後約20年社会福祉に貢献 |
昭和26年 | 第4回 | 該当なし | ||
昭和27年 | 第5回 | 該当なし | ||
昭和28年 | 第6回 | 該当なし | ||
昭和29年 | 第7回 | 佐藤トク | 盛岡幼稚園園長 | 昭和13年から42年間にわたり園長として幼児教育に貢献 |
昭和30年 | 第8回 | 該当なし | ||
昭和31年 | 第9回 | 瀬川正三郎 | 整骨士 | 盛中の柔道教職と、その後の整骨業を通じて、地域社会に貢献 |
昭和32年 | 第10回 | 佐藤公一 | 県農協中央会会長 | 県立病院の基礎をつくり、全国に先がけて国保全県普及を実現 |
昭和33年 | 第11回 | 該当なし | ||
昭和34年 | 第12回 | 該当なし | ||
昭和35年 | 第13回 | 小川金英 | 県社会福祉協議会副会長 | 貧しい人のための「よるひる銀行」を開設するなど福祉活動に貢献 |
昭和36年 | 第14回 | 該当なし | ||
昭和37年 | 第15回 | 該当なし | ||
昭和38年 | 第16回 | 該当なし | ||
昭和39年 | 第17回 | 和賀郡沢内村 | 母子保健のための施設充実と適正な行政によって、画期的業績を記録 | |
昭和40年 | 第18回 | 三浦寅三 | 辺地医療と陸中海岸観光開発推進に貢献 |
▼ 昭和41~63年
受賞年 | 回 | 受賞者 | 職業 | 功績 |
---|---|---|---|---|
昭和41年 | 第19回 | 佐藤隆房 | 総合花巻病院院長 | 地域医療、育英事業、社会事業に貢献 |
昭和42年 | 第20回 | 一野辺イチ | 長年にわたり保母として保育事業に貢献 | |
昭和43年 | 第21回 | 南出英憲 | 医師(小児科) | 東北の小児クル病の発見と治療及び乳幼児保健、母子衛生思想の向上に尽力 |
昭和44年 | 第22回 | 松生利直 | 元山形村教育長 | 大学教授に迎えられる身で、中等教育会に投じ、定年後は辺地教育の向上に貢献 |
昭和45年 | 第23回 | 浅野七野助 | 日米時事新聞社社長 | 50年間サンフランシスコで新聞事業を通じて在来日本人の教育文化活動に貢献 |
ギルバード・W・シュレーヤ | 宣教師 | 英会話教室、ろうあ者への伝道、点訳奉仕を通じて地域文化の向上に貢献 | ||
コーネリヤ・R・シュレーヤ | 宣教師 | 昭和6年「いずみ幼稚園」を設立。幼児教育に新しい教育理念で取り組む | ||
昭和46年 | 第24回 | 村上秀久 | 盛岡聖公会名誉牧師 | 大正14年、盛岡仁王幼稚園を創立。50年間にわたり幼児教育に献身 |
昭和47年 | 第25回 | 若松春 | 若い盲人のため10余年間にわたり、大学受験参考書、一般教養書の点訳奉仕に貢献 | |
昭和48年 | 第26回 | 盛岡世代にかける橋 | 身体障害者へのボランティアを通じて子供たちの健全育成、社会福祉の向上に貢献 | |
昭和49年 | 第27回 | 小川口清 | 肢体不自由児を中心とした福祉活動に貢献 | |
昭和50年 | 第28回 | 若生宏 | 岩手医大病院長 | 乳児の健康保険10割給付を提唱、全国に先駆けて国保の赤ちゃん10割給付に貢献 |
昭和51年 | 第29回 | 芳賀得代 | 県漁協婦人部連絡協議会会長 | 助産婦、婦人会長、漁協婦人部会長として40年間地域の福祉向上に貢献 |
酒井清澄 | 県立磐井病院名誉会長 | 昭和20年から30年間にわたり、地域医療と環境整備に尽力 | ||
昭和52年 | 第30回 | 該当なし | ||
昭和53年 | 第31回 | 松坂暲男 | 県里親会副会長 | 父親と親子二代にわたって36年間に9人の里子を育て、里親事業の促進に努めた |
昭和54年 | 第32回 | 赤沢美喜子 | 県医療社会事業協会会長 | 盛岡赤十字病院の初代医療ケースワーカーとして、医療厚生活動に新しい職域を開拓 |
昭和55年 | 第33回 | 細川泰子 | 学校法人生活学園園長 | 短大・高校・幼稚園の生活学園グループを育成。女子教育の振興に貢献 |
昭和56年 | 第34回 | 社会福祉法人カナンの園 | 青年グループが県北地区に精簿児施設の建設に立ち上がり、5年間の運動の末設立 | |
昭和57年 | 第35回 | (株)みちのくあかね会 | 女性だけの組織で20年間ホームスパンの手づくりに徹し、全国に販路拡げている | |
昭和58年 | 第36回 | 新里村 | 村が乳児死亡ゼロ運動に乗り出し、地域住民一体となって11年間死亡ゼロを特続中 | |
昭和59年 | 第37回 | 吉田幾世 | 向中野学園理事長 | 「生活即教育」を建学精神に盛岡生活学園を設立。女子教育一筋に教育界に貢献 |
昭和60年 | 第38回 | 細越直哉 | 県職員 | 20年以上点字奉仕活動を続け600冊以上点訳、県立点字図書館に寄贈している |
昭和61年 | 第39回 | 鈴木サツ | 民話の語り部として遠野地方に伝わる民話を観光客に披露、地域活性化に貢献 | |
昭和62年 | 第40回 | 照井謹二郎 | 花巻賢治子供会、花巻賢治の会を主宰、童話劇の上演、賢治祭の主催を続けている | |
昭和63年 | 第41回 | 心身障害者育成会・宮古若竹会 | 精簿児の収容厚生施設設置運動を展開、開園にこぎつけ、精簿児の福士教育に貢献 |
▼ 平成元~20年
受賞年 | 回 | 受賞者 | 職業 | 功績 |
---|---|---|---|---|
平成元年 | 第42回 | 三田俊定 | 岩手医科大学理事長 | 医師、看護婦の育成、無医地区の解消、緊急医療体制の確立など知育医療に貢献 |
平成2年 | 第43回 | 田野畑村 | 米国人講師招へい、村内中学生、教師の米国研修派遣など国際交流の進展に貢献 | |
平成3年 | 第44回 | 渡辺顕麿 | 宝樹寺住職 | 「親と子の合唱団ノイホフ・クワィアー」の活動を通じて地域の文化振興に尽力 |
平成4年 | 第45回 | 社会福祉法人岩手愛児会 | 体や心の病を持つ子供達の医療と教育、生活指導の施設を創設、児童福祉の向上に貢献 | |
平成5年 | 第46回 | 藤村益治郎 | 造園師 | 天職(庭師職人)を通して社会奉仕活動に献身し、国際文化交流に貢献 |
平成6年 | 第47回 | 鈴木誠三郎 | 日中交心会会長 | 中国残留婦人・孤児などの帰国促進と帰国後の自立支援を行い、厚生省、県からの高い評価 |
平成7年 | 第48回 | 山根六郷研究会 | 会長黒沼忠雄 | 研究会と住民が一体となり、過疎の地が本格的な交流の拠点に変わる取組として評価 |
平成8年 | 第49回 | 藤原長作 | 15年間稲作指導を通じて日中友好に貢献 | |
平成9年 | 第50回 | 桜井政太郎 | 元県立盲学校教諭 | 盛岡市内の自宅に「触れる博物館」を開業。視覚障害者の福祉に尽力 |
平成10年 | 第51回 | 全国太鼓フェステイバル実行委員会 | (会長河野和義) | 平成元年から陸前高田市民主導で取り組み、全国有数の太鼓イベントに育てた |
平成11年 | 第52回 | 安野木正 | 環境庁自然公園指導員 | 本県の自然保護活動の草分け的存在 |
平成12年 | 第53回 | 市民の舞台 遠野物語ファンタジー制作委員会 | (登坂慶子委員長) | 全国の市民劇場の先駆として地域づくり、人づくりに大きな成果を挙げている |
平成13年 | 第54回 | 岩泉町の中野七頭舞(ななづまい)保存会 | (阿部一雄会長) | 郷土芸能の伝承を通じて地方文化を全国に発信 |
平成14年 | 第55回 | ゲオルグ・シュトルム | 二戸市、神父 | 20年以上にわたり1人で地域での植樹活動を展開し自然との共生を実践 |
平成15年 | 第56回 | 木藤古(きとうご)徳一郎 | 山形村「バッタリー村」村長 | バッタリー村を開村し全国の人々と交流しながら、自然との共生の尊さを伝える |
平成16年 | 第57回 | 橋本勢津 | 公衆衛生医師 | 宮古保健所長などを務め、新里村にカボチャ2株運動を定着させるなど、住民の健康増進に尽力 |
平成17年 | 第58回 | 長岡 輝子 | 女優、演出家「賢治」の朗読 | |
平成18年 | 第59回 | 岩淵 宣輝 | 約40年 遺骨帰還活動に尽力 | |
平成19年 | 第60回 | 早池峰にゴミは似合わない実行委 | 山頂トイレのし尿をくみ下ろす | |
平成20年 | 第61回 | 岩手県青少年自立支援センター「ポランの広場」 | 不登校に悩む親子を支援 |
▼ 平成21~30年
受賞年 | 回 | 受賞者 | 職業 | 功績 |
---|---|---|---|---|
平成21年 | 第62回 | 松田 陽二 | メガネの松田社長 | ネパールへ眼鏡寄贈 |
平成22年 | 第63回 | 社会福祉法人 盛岡いのちの電話 | 自殺防止へボランティア活動 | |
平成23年 | 第64回 | 遠野市 | 大震災直後から市民総ぐるみで被災地の救援活動を展開し、大規模災害時の「後方支援」の重要性を示す | |
平成23年 | 第64回 | 瀬戸内寂聴 | 天台寺名誉住職 | 定期的に「青空法話」を続け、荒廃した古刹(こさつ)の復興、地域振興に尽力 |
平成24年 | 第65回 | 笹原 留似子 | 北上市、復元納棺師 | 東日本大震災で亡くなった300人以上の遺体を復元・納棺した |
平成25年 | 第66回 | 田畑 ヨシ | 自作の紙芝居で津波の恐ろしさや命の大切さを説く | |
平成26年 | 第67回 | 盛岡・マニラ育英会 | 国際奨学金事業で就学を支援 | |
平成27年 | 第68回 | 斎藤 政一 | 県原爆被害者団体協議会名誉会長 | 県原爆被害者団体協議会の副会長、会長を長年務め、現在は名誉会長として携わる |
平成28年 | 第69回 | 石木 幹人 | 前県立高田病院長 | 東日本大震災前から気仙地域の高齢者医療充実に努め、被災地の医療復興に尽力した |
平成29年 | 第70回 | 盛岡さんさ踊り振興協議会 | 統合さんさを考案、東北有数の祭りへの発展を支えた | |
平成30年 | 第71回 | 佐々木 格 | 自宅庭園に設置した「風の電話」が東日本大震災犠牲者の遺族らの心のよりどころとなっている |