▼ 昭和23~40年
受賞年 | 回 | 受賞者 | 職業 | 功績 |
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昭和23年 | 第1回 | 新渡戸仙岳 | 郷土史学の功労 | |
森嘉兵衛 | 岩手師範教授 | 産業経済史の研究 | ||
金野巌 | 岩手医大教授 | 耳性化膿性脳膜炎の治療に関する研究 | ||
昭和24年 | 第2回 | 深沢省三・紅子夫妻 | 画家 | 郷土における美術教育と児童福祉運動の先駆者としての功労 |
昭和25年 | 第3回 | 池田徹郎 | 水沢緯度観測所所長 | 本県科学教育に尽力。多くの子弟を養成。気候と稲作の研究 |
昭和26年 | 第4回 | 太田孝太郎 | 郷土史家 | 「南部叢書」「岩手釜石志」「盛岡碑文集」等を発行、郷土史研究 |
五味清吉 | 画家 | 本県洋画壇の大先輩。40余年にわたる作品活動と後進の育成 | ||
昭和27年 | 第5回 | 根本四郎 | 岩手医大教授 | 自家中毒症に関する共同研究の成果を全国学会に発表 |
鈴木繁吉 | 鋳金家 | 昭和21年度第2回日展から連続7回入選。今年は八掛紋の独楽釜で特選 | ||
昭和28年 | 第6回 | 池田隆 | 岩手医大三戸町分院放射線主任 | わが国レントゲン医療の草分け。放射能障害を受けるが、なお現在も続けている |
昭和29年 | 第7回 | 鈴木彦次郎 | 県教育委員 | 巡回文庫を創設し辺地教育に貢献。文芸評論、創作活動を通じて文化運動に尽力 |
昭和30年 | 第8回 | 菅原隆太郎 | 元校長 | トピックスを与えて学習させるダルトン・プランを取入れ、教育界に新風を吹き込む |
昭和31年 | 第9回 | 中井汲泉 | 画家 | 本県独特の染絵やこけしを描き、岩手の民芸を全国に普及させた |
新藤武 | 岩手音楽協会会長 | 40年間にわたり、曲集を編さんし、本県の音楽界に尽力 | ||
昭和32年 | 第10回 | 該当なし | ||
昭和33年 | 第11回 | 宮野藤吉 | 俳人(俳号 小堤灯) | 明治44年から50年間近く句作を続け、排誌「夏草」の同人として本県俳壇に尽力 |
寺井トシ | 華道草月流顧問(雅号 風交) | 昭和6年から華道教師として戦前戦後を通して、本県華道会の振興に尽力 | ||
昭和34年 | 第12回 | 該当なし | ||
昭和35年 | 第13回 | 高橋康文 | 岩手芸術協会会長として14年間にわたり岩手芸術祭を主宰。芸術振興に貢献 | |
昭和36年 | 第14回 | 岩手医科大学麻酔学教室 | 超低温麻酔法の安全を確かめ人体に応用、難手術といわれた心臓手術の成功率を高めた | |
昭和37年 | 第15回 | 田中喜多美 | 県文化課県史編さん係長 | 郷土史の研究、県史編さんに貢献 |
昭和38年 | 第16回 | 森口多里 | 美術評論家 | 美術関係、民俗関係の著書40種を越え、民俗学の学究としても現役で活躍 |
昭和39年 | 第17回 | 該当なし | ||
昭和40年 | 第18回 | 望月清久 | 鳴り物の師匠として70年、この道ひとすじ古典芸能に貢献 |
▼ 昭和41~63年
受賞年 | 回 | 受賞者 | 職業 | 功績 |
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昭和41年 | 第19回 | 該当なし | ||
昭和42年 | 第20回 | 毛越寺延年の舞 | 約900年にわたり寺院芸能を保存伝承した県の無形文化財 | |
昭和43年 | 第21回 | 藤島亥治郎 | 東京大学名誉教授 | 平泉遺跡調査団長として中尊寺の解明と金色堂の修理復元に尽力 |
昭和44年 | 第22回 | 池田竜甫 | 画家 | 県立美術工芸学校、盛岡短大美工科の設置に貢献。産業人としても美術家を育成 |
昭和45年 | 第23回 | 橋本八百二 | 画家 | 橋本美術館」を開設し美術の告発。個展等を通じて後進の美術家を育成 |
昭和46年 | 第24回 | 葛精一 | 鳥類学者 | 全国を歩き、野鳥の食性、日本の鳥類の分布を調査。岩手の野生動物保護に貢献 |
昭和47年 | 第25回 | 白石隆一 | 画家 | 中央画壇で活躍し、戦後郷里で一関美術研究所を開設、郷土の美術振興に貢献 |
昭和48年 | 第26回 | 内村皓一 | 国際サロニストとして優れた作品を発表。写真クラブを結成して後進の育成に貢献 | |
昭和49年 | 第27回 | 該当なし | ||
昭和50年 | 第28回 | 該当なし | ||
昭和51年 | 第29回 | 板橋源 | 岩手大学名誉教授 | 実証主義に立って、県内、秋田の史跡を発掘調査、みちのくの古代史解明に貢献 |
昭和52年 | 第30回 | 早池峰神楽 | 後継者不足を乗り越えて、51年文化庁から国の重要無形文化財第1号に指定 | |
昭和53年 | 第31回 | 小松代融一 | 岩手女子高校校長 | 岩手の方言研究をライフワークに「日本言語地図」を作成、文化庁長官から表彰 |
昭和54年 | 第32回 | 吉川保正 | 画家・彫刻家 | 彫刻70年の個展を開く。県内にも埋もれている貴重な文化財の発掘に尽力 |
高橋喜平 | 日本雪氷学会名誉会員 | 雪崩を研究、雪崩防止林造成事業に献身。第8回日本エッセイストクラブ賞を受賞 | ||
昭和55年 | 第33回 | 高橋放浪児 | 川柳北上吟社主幹 | 川柳北上吟社が創立25周年を迎え、多くの川柳人を育て、本県文芸界に貢献 |
昭和56年 | 第34回 | 舟越保武 | 彫刻家 | 大理石の直彫り彫刻法を完成。高村光太郎賞、中原悌二郎賞、長谷川仁記念賞を受賞 |
昭和57年 | 第35回 | 海妻矩彦 | 岩手大学助教授 | 大豆の細胞に「タンパク質合成工場」のあつことを突き止め学会から高く評価 |
昭和58年 | 第36回 | 山口青邨 | 排誌「夏草」主宰 | 「夏草」の創刊から53年目。俳句、評論、随筆と多彩な内容で全国から高く評価 |
昭和59年 | 第37回 | 岩手大学農学部果樹園芸学研究室 | 果樹の原種をそこなわず半永久的に保存する「リンゴの保存法」と「培養」に成功 | |
昭和60年 | 第38回 | 千葉了道 | 岩手大学名誉教授 | 多くの音楽人を育て、自らも合唱団指揮者として音楽活動の普及、育成に尽力 |
昭和61年 | 第39回 | 草間俊一 | 盛岡短期大学学長 | 戦後、40年間にわたり郷土史研究と文化財愛護に取り組み歴史研究の発展に貢献 |
昭和62年 | 第40回 | 藤原哲郎 | 岩手医科大学教授 | 新生児に多い難病の呼吸窮屈病を研究、世界に先駆けて治療法を編み出した |
昭和63年 | 第41回 | 古関六平 | 漆工芸 作家 | 日展連続20回入選、会友に推挙。岩手工芸美術協会を発足、地域文化の振興に貢献 |
▼ 平成元~20年
受賞年 | 回 | 受賞者 | 職業 | 功績 |
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平成元年 | 第42回 | 吉田見知子 | 盛岡音楽院院長 | ピアノ指導者として、地方にあって独自の教育で世界に通用するピアニストを育成 |
平成2年 | 第43回 | 劇団岩手ぶどう座 | 昭和25年から40余年間、過疎に揺れる地域に課題を上演、地域文化の推進に貢献 | |
平成3年 | 第44回 | 大坪孝二 | 元詩人クラブ会長 | 県詩人クラブ創設期からかかわり、新人育成など本県詩界の興隆に貢献 |
平成4年 | 第45回 | 星吉昭 | 作曲家・シンセサイザー奏者 | 岩手の芸能、民話を音楽づくりに生かし、全国各地で演奏、地域文化の発展に貢献 |
平成5年 | 第46回 | 中村誠 | グラフィックデザイナー | 日本のデザイン界で活躍。岩手美術展結成時から審査員として尽力史若手育成に貢献 |
平成6年 | 第47回 | 佐々木正利 | 声楽家 | 岩手で世界に通じる合唱団を育てたいと盛岡バッハ・カンタータ・フェラインを始動、地域文化に貢献 |
平成7年 | 第48回 | 村井宏 | 東北環境計画研究会会長 | 環境保全の実践と研究。環境との調和を図った地域づくり活動に尽力 |
平成8年 | 第49回 | 村上雅人 | 超伝導工学田町研究所第7研究部長 | 超伝導研究者として世界トップ級。本来の科学技術や教育・普及に尽力 |
平成9年 | 第50回 | 海野経 | 洋画家 | 自ら精力的に個展を開催。美術教員として高校、大学で後進の育成に当たり本県芸術文化の振興に尽力 |
三好京三 | 作家 | 岩手の子供と地域の長所を描いた作品は多くの読者から共感を得ている。長年「北の文学」の編集委員として本県文芸振興に貢献 | ||
平成10年 | 第51回 | 小原啄葉 | 俳人 | 県内俳壇発展のため県俳人協会、県俳句連盟を設立、県内俳句界振興に貢献 |
平成11年 | 第52回 | 松田晃 | 声楽家・指揮者 | 長年にわたり岩手の合唱を指導し、全国レベルの高水準にまで育てた |
土井宣夫 | 火山研究者 | 岩手山の火山史を解明し、火山防災に貢献 | ||
平成12年 | 第53回 | 山浦玄嗣 | 医師 | 開業医の傍ら25年にわたるケセン語研究の集大成として「ケセン語大辞典」(無明舎出版)を出した |
平成13年 | 第54回 | 盛岡藩「雑書」翻刻グループ | (責任校閲・細井計岩手大教育学部教授) | 20年間にわたり盛岡藩の家老席日誌翻刻と取り組んでいる |
平成14年 | 第55回 | 高橋克彦 | 作家 | 意欲的な執筆活動で本県から常に質の高い作品を送り出し、直木賞など多くの受賞歴を持つ |
平成15年 | 第56回 | 武田良夫 | 民間考古学研究者 | 20年前に宮守村の金取(かねどり)遺跡を発見するなど、本県考古学の発展に貢献 |
平成16年 | 第57回 | 福田繁雄 | グラフィックデザイナー | 二戸市出身の日本を代表するグラフィックデザイナー |
平成17年 | 第58回 | 氷口御祝保存会 | 江戸末期の「祝い歌」を継承 | |
平成18年 | 第59回 | 山下文男 | 地震・津波災害研究に取り組む | |
平成19年 | 第60回 | 百瀬寿 | 美術家 | グラデーションの美を追求 |
平成20年 | 第61回 | 小山実稚恵 | ピアニスト | 盛岡市出身のピアニスト。ショパン生誕200年の2010年ショパンコンクール審査員に選出されるなど活躍の場を広げている |
▼ 平成21~30年
受賞年 | 回 | 受賞者 | 職業 | 功績 |
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平成21年 | 第62回 | 遊座昭吾 | 啄木研究家 | 石川啄木研究に情熱 |
盛岡二高箏曲部 (奨励賞) |
全国高総文祭日本音楽部門文科大臣賞 | |||
平成22年 | 第63回 | 黒沢智子 | クラシックバレエ指導者 | バレエ一筋、後進の指導に尽力 |
中川慧梧 (奨励賞) |
岩手高3年 | 全国高総文祭将棋部門男子個人戦優勝 | ||
小山田友希 (奨励賞) |
盛岡一高1年 | 全国高総文祭将棋部門女子個人戦優勝 | ||
平成23年 | 第64回 | 橋場あや | いわて・きららアート協会初代会長 | 県内の知的障害者らの造形活動に長年かかわり、独特の魅力にあふれた作品を世に出す役割を担う |
岩手中・高校囲碁将棋部 (奨励賞) |
第35回全国高校総合文化祭将棋部門男子団体優勝 | |||
平成24年 | 第65回 | 大矢邦宣 | 平泉文化遺産センター館長・盛岡大客員教授 | 「平泉の文化遺産」の世界遺産登録に向け、登録推薦書作成委員として尽力した |
北上翔南高鬼剣舞部 (奨励賞) |
第36回全国高校総合文化祭郷土芸能部門最優秀賞 | |||
平成25年 | 第66回 | 城戸 朱理 | 詩人 | 現代詩壇を長くけん引し、「幻の母」で2010年度の芸術選奨文部科学大臣新人賞、12年に「漂流物」で現代詩花椿賞と実績を重ねている |
岩手中・高校囲碁将棋部 (奨励賞) |
全国高総文祭将棋男子団体3連覇 | |||
不来方高音楽部 (奨励賞) |
第66回全日本合唱コンクール全国大会高校部門文部科学大臣賞 | |||
平成26年 | 第67回 | 黒澤和雄さん、千賀子さん夫妻 | 箏曲家 | 国内外で長年演奏活動を続けるとともに、最近は邦楽の普及と後進の育成に力を入れている |
平成27年 | 第68回 | 杉本 吉武 | グラフィックデザイナー | 三陸・海の博覧会や岩手インターハイのポスター、もりおか暮らし物語ブランドのロゴマークなど、県民が一度は見たことがあるポスターやマークを数多く手がけた |
不来方高音楽部 (奨励賞) |
第68回全日本合唱コンクール全国大会高校部門文部科学大臣賞 | |||
小山怜央 (奨励賞) |
県立大4年 | 将棋全日本アマチュア名人戦優勝 | ||
平成28年 | 第69回 | 吉見 正信 | 文芸評論家・宮沢賢治研究家 | 東京から本県に移り住み、宮沢賢治の作品背景となった地でのフィールドワークや、賢治と日常的に接した人々への取材に基づく実証的な研究を先駆けた。各地の歌碑・詩碑建立監修や「賢治の会」の活動を後押しするなど多彩な顕彰活動でも活躍 |
平成29年 | 第70回 | 柏葉 幸子 | 児童文学作家 | 東北薬科大在学中の1974年に「霧のむこうのふしぎな町」で講談社児童文学新人賞を受賞し、デビュー。同作は3世代にわたって読み継がれる名作で、ミュージカルにもなった。2014年5月から本紙の子ども向け新聞「日報ジュニアウイークリー」で60回連載した「岬のマヨイガ」は、15年講談社から書籍化され、16年野間児童文芸賞受賞 |
不来方高音楽部 (奨励賞) |
第70回全日本合唱コンクール全国大会高校部門文部科学大臣賞 | |||
平成30年 | 第71回 | るんびにい美術館 | 障害者芸術の素晴らしさを広め、ボーダーレスな場を目指す | |
花巻農高鹿踊(ししおどり)部 (奨励賞) |
全国高校総合文化祭郷土芸能部門で初の最優秀賞(文部科学大臣賞) |